密着!利尻島の「人生劇場」 “渡り鳥”アルバイト&移住漁師の涙

利尻島の名産、利尻昆布。その昆布干しを担うのは、「季節アルバイト」と呼ばれる人たちだ。収穫の時期に合わせて、全国各地の農村、漁村を渡り歩く。

5年前、この島で取材した、小峠俊幸(ことうげとしゆき)さん(当時34)は、「11月は四国のミカン農家、2月は沖縄のサトウキビ農家に行く。普通の人生とは違うかもしれないけど、今の自分にはこういう生き方が合っている」と語っていた。

その小峠さんは今、四国の愛媛県にいた。季節アルバイトで通った八幡浜市のミカン農家の協力で、名産の「真穴(まあな)みかん」の農業研修生になったのだ。研修は今年いっぱいで、来年からはミカン農家として自分の畑を持つ。

「ボクの人生を後押ししてくれた農家さんに出会えたのが一番大きかった」

小峠さんは、感謝と決意をこめてそう語った。

利尻の昆布漁師、中辻清貴(なかつじきよたか)さん(39)のところには、小峠さんが各地で知り合った季節アルバイトの人たちが「紹介で」昆布干しにやってくる。

「今年も来てくれていて、ありがたいです」

そう話す中辻さんもまた、ありきたりではない道のりを経て漁師になった。

神戸の水産会社で働いていた中辻さんは、今から11年前、海産物の買い付けで利尻島を訪れた。そこで、のちに親方となる横山利彦さんと出会う。横山さんには後継者がいなかった。

「せっかく利尻昆布という、いい産業があるのにもったいない…自分がやってみよう」

脱サラして島に移り住み、横山親方のもとで昆布漁のイロハを学んだ。

「漁師は頭を使え!」

親方の口癖だった言葉。中辻さんは、その教えを実践してきた。5年前の取材時、中辻さんはカモメのフンに悩まされていた。

「2年間、手間ヒマかけて養殖した高級昆布が、最後の最後にフンをかけられて台なしにされては、たまったものじゃない」

中辻さんは、意外な行動に出た。干し場の上に、カモメよけの凧をあげたのだ。

中辻さんは去年夏、干し場に乾燥施設を2棟建設した。島に2つとない大型の施設だ。

「雨が降っても生産ができる。天気の心配をしなくてすむ」と、工事に踏み切った。

乾燥室の天井に掲げられた大きな送風機は、稚内の牛舎を見学してひらめいた。「牛のふんから出たメタンガスをこの送風機で一か所に集めるんですけど、見学して、これや!って。メーカーにかなりの数を注文したら、びっくりされてメーカーの担当者がここまで見に来ました」と笑う。

中辻さんの新たな試み…しかし、親方の横山さんが乾燥施設を目にすることはなかった。去年2月、脳梗塞で他界したのだ。

親方の話になると、中辻さんは言葉を詰まらせた。

「乾燥施設を作ってみたいって話したことがあって…面白そうだな、と…言ってくれたんです…」

入院先の病院で、親方が中辻さんに言った最期のメッセージは…。

「もう必要なことは…全部教えた…って…」

親方の後継者という誇りを胸に、中辻さんはこれからも北の離島で生きていく。


0コメント

  • 1000 / 1000